29–別人

エラムの29–別人は、スペアミントとイグサの冷たい緑を白い花へ移し、パチュリ、ムスク、アンバーグリスの体温へ戻すグリーン フローラルです。百人一首29番の初霜と白菊を、静かな感覚の変化へ広げます。

#430 · 2026-07-23

ERAM / 29-Betsujin

香水の基本情報と第一印象

29–別人は、ERAM(エラム)が2025年に発売したグリーン フローラルのオードパルファムです。伊勢丹新宿店「サロン ド パルファン 2025」で10月8日に先行販売され、12月1日に正式販売が始まりました。通常品は30mLで13,200円。ブランドが示す香りの構成は、トップがスペアミントとリーフィー グリーン、ミドルがイグサ、ホワイト フローラル、スズラン、ラストがパチュリ、ムスク、アンバーグリスです。

第一印象をひとことで言えば、イグサと白い花が描く、初霜の静けさ。入口には、噛んだミントガムのような強い刺激ではなく、白い朝の空気を細く切る緑があります。そこから濡れた草や新しい畳を連想させるイグサ、白い花へ移り、最後はパチュリとムスクが冷たさの奥に肌の温度を戻します。

色は淡い緑から白、そして薄い土色へ。冷たい香りですが、最後まで無機質ではありません。賦香率は23%と説明されている一方、本作単独の持続時間や拡散距離は公表されていません。数字だけで強さを決めず、トップの冷感が落ち着いた後、イグサとムスクが自分の肌でどの距離に残るかを見るのが大切です。性別で対象を区切るより、白い空気と畳のような緑に自分の感性が反応するかを試す一本です。

調香師・ブランドの背景と制作秘話

本作の調香師は岸田茂雄です。岸田は、古い畳を塗料とイグサの香料で再生するプロジェクトに関わった経験を持ち、その知見が本作のイグサ表現へ生かされました。イグサはそのまま精油を採ることが難しい素材です。そこで香気成分を分析し、複数の香料を組み合わせて、青さ、乾いた繊維、畳を思わせる落ち着きを再構成しました。

香りの監修と評価を担ったのは佐藤孝です。ポーラグループで40年以上、化粧品の賦香開発やフレグランス開発に携わり、エラムでは香りのアドバイザー、エバリュエーターとして品質と方向性を見ています。岸田が処方を組み立て、佐藤がブランドの感性と香りの完成度を見極める。二人の役割を分けて理解すると、本作が個人の着想だけでなく、評価と調整を重ねた作品であることが見えてきます。

エラムは、ポーラ・オルビスホールディングスの社内ベンチャーから生まれました。2023年7月に、質問、サンプル、フィードバックを通じて好みを探る香水サブスクリプションとして始動。2024年11月には16香をそろえ、感性から香りを選ぶ現在のブランドへ再編されました。名称は古語の「えらむ」に由来します。2025年にはPerfume & You主催「ベストフレグランス大賞2025」のゴールド賞にも選ばれました。

香りの詳細分析

トップはスペアミントとリーフィー グリーンです。スペアミントの涼しさは明るく、ペパーミントほど鋭い薬品感へ寄りません。葉の青さが重なることで、冷蔵庫のような無機質な冷気ではなく、霜の降りた庭へ朝日が差す瞬間を思わせます。さらに独自冷感素材Physcool®が、メントールとは異なる穏やかな冷たさを補います。これは香調を担う一般的なノートというより、肌で感じる温度を設計する素材です。

ミドルではイグサ、ホワイト フローラル、スズランが中心になります。イグサの青さと乾いた繊維感に、白い花が光を加えます。スズランは軽やかな透明感を持ち、畳の和風イメージを重く閉じません。新しい畳だけでなく、冬の庭、白い菊、霜の粒を同じ画面に置くような段階です。イグサを単独の天然精油として説明するのではなく、分析と再構成によるアコードとして捉えると、この香りの精密さが分かります。

ラストはパチュリ、ムスク、アンバーグリス。パチュリが湿った土と影を置き、ムスクが角を丸め、アンバーグリスが乾いた温かさと奥行きを支えます。公式ノートにタバコやインセンスはありません。冷たい緑から始まりながら、最後は人肌へ戻る。この温度差が、単純なミント香水や畳の再現香では終わらない理由です。

他の香水との比較・ポジショニング

Guerlain Aqua Allegoria Herba Fresca(ゲラン アクア アレゴリア エルバ フレスカ)とは、ミント、緑、明るい空気が接点です。エルバ フレスカはレモン、クローバー、ミントが露を含んだ春夏の草原を描き、軽快さを前へ出します。29–別人は柑橘の明るさを抑え、イグサ、白い花、パチュリへ進む香りです。春夏の陽光を選ぶなら前者、冬の白さと静かな密度を選ぶなら本作です。

Diptyque Eau de Minthé(ディプティック オー ド ミンテ)は、ミントをフゼアの骨格へ置き、ゼラニウムやパチュリでクラシックな理髪店の陰影を作ります。本作はミントを冷感の入口にし、イグサとスズランで日本の冬景色へ向かいます。端正なジャケットと暗い木の室内ならオー ド ミンテ、白いシャツと静かな朝なら29–別人という違いがあります。

両作と比べても、本作の中心は「ミントが強いこと」ではありません。精油を採れないイグサの再構成、初霜と白菊の見立て、冷たさの後に戻る体温が一つにつながる点に独自性があります。似た香りを探すときは、爽快感だけでなく、緑の後に花と土がどのように残るかを比べてください。

購入ガイド・価格・おすすめ度

通常品はオードパルファム30mL、税込13,200円です。公式に確認できる別濃度や旧処方、フランカーはありません。2mLは試香用のサンプルやセットの構成品として存在しますが、独立した別バージョンではありません。2025年12月には、30mL本品と既存5香の2mLを組み合わせたウィンターホリデーセットも展開されました。受賞名や限定セット名が加わっても、香り自体の別処方が示されたものではありません。

向くのは、甘い花や分かりやすいシトラスではなく、冷たい葉、畳を思わせる繊維、白い花、静かな土の余韻を楽しみたい人です。ミントの清涼感だけを期待すると、イグサやパチュリが想像より落ち着いて感じられるかもしれません。反対に、畳の再現香を求める人には、白い花とムスクが加わることで、より抽象的で洗練された印象になる可能性があります。

可能なら、店頭または2mLの機会でトップから数時間後まで試してください。23%という数字を長時間・強拡散の保証として扱わず、肌で冷感、白い花、パチュリの順を確認します。初めは一噴きから。手首だけでなく、衣服に触れにくい腕の内側で試すと、素材の変化を追いやすくなります。

実際の使用感・シーン・評判

本領を感じやすいのは晩秋から冬の日中です。冷えた朝、静かな通勤、美術館、図書館、寺社、木や畳のある空間へ自然につながります。白いシャツ、淡いグレーのニット、ウールのジャケット、端正な黒いコートの内側など、色数を抑えた服装が似合います。大きな空間で目立たせるより、近い距離で冷たさと体温の移り変わりを確かめたい香りです。香りを主役にしすぎない、静かな一日の輪郭として使えます。

真夏の配信時期に使うなら、夜、空調のある室内、雨上がりの静かな時間に少量から。ミントがあるからと多く噴霧すると、23%の密度やパチュリが重く感じられる可能性があります。反対に一噴きなら、冷房の冷気と肌の温度の間で、イグサと白い花が細く立ち上がります。高温多湿の日中は、必ず肌で試して量を決めてください。

名前のもとになった百人一首29番は、凡河内躬恒が、初霜によって白菊と霜を見分けられなくなる景色を詠んだ歌です。原歌は雪ではなく初霜。エラムはその「見紛う白」を、雪で見慣れた庭が別の景色になり、見る自分も昨日とは少し違う別人になる物語へ広げました。変身を誇示する香りではなく、静かな朝に自分の感覚が少し変わったことへ気づく香り。その余白に惹かれるかが、本作を選ぶ最後の判断材料になります。

香水・ブランド・調香師