P.S.
ドルセー「P.S.」は、19世紀の秘密の恋文に着想を得た、ローズオキシドとベチバーの静かな香りです。冷たい薔薇の金属感とアーシーな木質が重なり、追伸に隠した感情のような余白を残します。
#302 · 2026-03-17
香水の基本情報と第一印象
D'ORSAY(ドルセー)は、1830年頃に起源を持ち、1865年にAlfred d'Orsay(アルフレッド・ドルセー)伯爵の遺族によって正式に創業されたフランスの老舗フレグランスメゾンです。すべての香水を「愛の宣言」として表現し、各作品には謎めいたイニシャルと詩的な文章が冠されるという、独特のストーリーテリングが特徴となっています。
**P.S.(Jusqu'à toi. P.S.)** は、そんなD'ORSAYが手がけたユニセックスのフローラル・ウッディ。「P.S.」という名前は手紙の追伸(Postscript)を連想させますが、公式には **「Particularly Serene(特に穏やか)」** の略でもあるとされています。他者の視線や常識から解放され、ふたりの関係がもたらす静かな確信へと至る——そんな愛の物語が、香りの変化を通じて表現された一本です。
第一印象は、弾けるようなシトラスと冷たいバラの煌めき。「5つ星ホテルのシャワージェル」と表現されるほどの洗練された清潔感が、スプレーした瞬間から広がります。
調香師・ブランドの背景と制作秘話
調香師を務めたのは **Nicolas Beaulieu(ニコラ・ボーリュー)**。香料会社大手IFFに所属していた気鋭の調香師で、現在はシムライズに移籍しています。「天然素材の質感を活かした、クリアでミニマルな構造」が彼のシグネチャーとされ、着る人を心からリラックスさせる和やかな香りを目指しているといいます。
ニコラ自身はこの作品について、「サイプレス・パチュリ・ベチバーの構造的なウッディアコードを軸に構築した」と語っています。グレープフルーツがベチバーのグリーンでフレッシュな効果に寄り添い、ローズオキシドがゼラニウムをモダンに刷新し、ピンクペッパーがマグノリアの溢れるようなフローラルにスパイスを加える——各素材が明確な役割を持った計算された構成です。
使用原料には、IFFの内部カンパニー「LMR Naturals」から供給された、責任ある原産地管理によるハイチ産ベチバーやマダガスカル産ゼラニウムなど、こだわりの天然素材が贅沢に使われています。
なお、ブランドは2015年にAmélie Huynh(アメリー・フイン)が取得し、根本からモダンに刷新されました。200年近い歴史を持ちながら、現代的なミニマリズムで生まれ変わったメゾンの姿勢が、この香水にも色濃く反映されています。
香りの詳細分析
**トップノート(最初の5〜15分)**
**主な香料:** ローズオキシド、グレープフルーツ、ピンクペッパー
スプレー直後から、鮮烈で立体的なスパイスとシトラスが広がります。弾けるようなジューシーなグレープフルーツの酸味と、鋭く突き抜けるような冷たいローズオキシドの煌めき。ソーピーでクリーンな清潔感が力強く立ち上がります。
公式ではこの鋭い立ち上がりを、**「外の世界では、人々が私たちの愛に賭けをし、鋭いグレープフルーツの酸味をもって噂をしている」** と、冷ややかな好奇心やスキャンダルに見立てています。香りの変化がストーリーの始まりと完全にリンクしているのが印象的です。
**ミドルノート(15分〜2時間)**
**主な香料:** ゼラニウム(マダガスカル産)、マグノリア、サイプレス
トップの鋭さが和らぎ、肌に馴染む包み込むようなフローラルへと移行します。ウォータリーでわずかにクリーミーな花びらの質感と、サイプレスがもたらすハーブのような清涼感が美しく交差。
公式の表現では **「マグノリアを思わせる、あなたの肌に触れるベルベットのような柔らかさ」**。周囲の喧騒から逃れた **「恋人たちの守られた繭(コクーン)」** の内部空間へと変化していきます。
**ベースノート(2時間以降)**
**主な香料:** ベチバー(ハイチ産)、パチュリ
温かく、ドライでアーシー(土っぽい)な深み。重苦しさを巧みに回避した清潔なウッディの余韻が残ります。公式は **「あなたはことごとくベチバー、そして私は、ほのかにパチュリ」** と表現し、揺るぎない大地のような確信へと到達する様を描いています。
持続時間については、「5〜6時間美しい余韻が残る」という声がある一方で、「1時間も持たない」という指摘もあり、肌質によって評価が大きく分かれる点は知っておきたいポイントです。
他の香水との比較・ポジショニング
グレープフルーツとローズの透明感を軸に持つ香水は他にもありますが、P.S.ならではの個性は **「清潔感と土っぽい落ち着きの共存」** にあります。
- **Hermès / Rose Ikebana** とは、柑橘×ローズ×クリーンウッディという骨格を共有しますが、P.S.はベチバーやパチュリによる「乾いた樹木の深み」が土台を支えるアプローチ。Rose Ikebanaが切り花の凛とした美しさを強調するのに対し、P.S.はよりアーシーで温かみのある方向へ進みます。
- **Maison Francis Kurkdjian / À la rose** とは、明るく柑橘で立ち上げるクリアなローズという共通点がありますが、À la roseがローズそのもののフェミニンな花束感を前面に出すのに対し、P.S.はゼラニウムとローズオキシドによる抽象的なローズ表現で、より中性的で知的な印象です。
- **Diptyque / Eau Rose EDT** とは透き通るローズの美しさを共有しつつも、P.S.はハーブの涼しさと強固なウッディ骨格を持ち、よりソーピーでグリーンな方向へ展開します。
フローラル特有の甘さが苦手な方や、透明感と土っぽい落ち着きという相反する要素を肌の上で楽しみたい方にとって、P.S.は魅力的な選択肢になるはずです。
購入ガイド・価格・おすすめ度
P.S.はオードパルファン(EDP)のみの展開で、濃度違いやバージョン違いはありません。発売当初からリフォーミュレーション(改香)も行われておらず、品質が一貫して保たれています。
なお、同ブランド内に **「S.P.(Somebody Wood)」** というイニシャルが逆の全く異なる香水が存在するため、購入やお試しの際は混同にご注意ください。
ボトルは無駄を削ぎ落としたミニマルな円柱形・長方形のフォルム。透明なガラス越しにごく淡いイエローの液体が透けて見え、白黒のラベルにはかつての創設者ドルセー伯爵のシルエットが描かれています。重厚なマグネット式キャップは上から被せるだけでピタッと吸い付き、閉める際の「カチッ」という音がラグジュアリー感を高めてくれます。
実際の使用感・シーン・評判
**おすすめの季節・シーン**
**春から初夏、夏** にかけてが最適です。グレープフルーツとゼラニウムの清涼感が、湿度の高い季節でも重たくならず爽やかさを演出してくれます。一方、冬の厳しい寒さの中ではアンバー系のような暖かさがないため、香りが控えめに感じられるかもしれません。
シーンとしては、**オフィスや初対面の場面** が最も得意なフィールド。「きちんとした印象を与えつつ、人を遠ざけない」全方位に好感度の高い香りです。スキンセントの傾向が強く、近づいた時にふわりと香る親密な距離感なので、大切な人との時間にもぴったり。逆に、強い拡散性が求められるクラブやパーティーにはあまり向いていません。
**服装との相性**
白いシャツやビジネスカジュアルとの相性が抜群。硬派なファッションの大人の男性が「外し」としてこの柔らかい香りを合わせる、という高度なコーディネートもおすすめです。
**ユニークな使い方**
雨の日に **傘の内側にワンプッシュ** するという使い方が愛好家の間で実践されているそうです。傘の中で香りがこもって、とても心地よい空間になるのだとか。ピンクペッパーのスパイスが鼻の奥にツンと感じられることもあるため、つける位置は手首など顔から少し離れた場所から試してみるのがおすすめです。


