フルール デュ マル
ドリス ヴァン ノッテン「フルール デュ マル」は、ピーチジュース、オスマンサス、ジャスミン、スエード、アンバーで、花とレザーの境界を描く香りです。甘い桃香水ではなく、金木犀の杏のような花感と軽い革の官能が肌に近く残ります。
#377 · 2026-05-31
香水の基本情報と第一印象
Dries Van Noten(ドリス ヴァン ノッテン)のFleur du Mal(フルール デュ マル)は、2022年に登場したEau de Parfumです。調香師はQuentin Bisch(カンタン・ビッシュ)。公式ノートは、トップにピーチジュース、ハートにオスマンサスとジャスミン、ベースにスエードとアンバー。公式サイトでは、この香りを「レザーの花」と表現しています。
第一印象は、甘い桃の香水というより、桃と金木犀がひとつの果肉になったような乳白色のフルーティさです。ピーチジュースは明るく出ますが、すぐにオスマンサスの杏のような花感へ接続します。そこへスエードが早い段階から重なり、香りは単なるフルーティフローラルではなく、起毛した革に触れたときの粉っぽい肌触りを帯びます。
名前は「悪の華」を意味し、ボードレールの詩集を思わせます。ただし、この香りを暗く重いレザー香水としてだけ見ると少しずれます。むしろ、無垢に見える花が、肌や革の気配を帯びていく香りです。かわいらしい桃と、近距離のスエード。その境目に、この香水の危うさがあります。
調香師・ブランドの背景と制作秘話
カンタン・ビッシュは、Givaudan(ジボダン)所属のフランス人調香師として知られます。演劇やダンスの背景も語られる人物で、香りの中に強いコントラストやドラマを作るのが得意な調香師です。フルール デュ マルでは、オスマンサスが持つ二面性を中心に置いています。
オスマンサスは、日本では金木犀として知られる花です。甘い秋の花という印象が強い一方で、香料として見ると、杏、蜂蜜、茶、そして軽いレザーのようなニュアンスを持ちます。ビッシュが見たのは、まさにこの素材の中にある矛盾です。天使のように見える花が、スエードをまとった瞬間に、少し動物的で官能的になる。その変化を、桃と革で拡大して見せたのがこの作品です。
ブランド側の文脈も重要です。ドリス ヴァン ノッテンは、ベルギー・アントワープを拠点に、色彩、プリント、テキスタイルの組み合わせで知られてきたデザイナーです。フレグランスラインでも、わかりやすい香調を並べるのではなく、意外な素材同士をぶつけることが軸になっています。フルール デュ マルの桃、金木犀、スエードという組み合わせは、その「コントラストの美学」をかなりわかりやすく香りにした一本です。
香りの詳細分析
トップはピーチジュース。ここは、缶詰の桃や濃いシロップというより、白桃の果汁にミルクの膜がかかったような質感です。みずみずしさはありますが、透明なシトラスの爽快感ではありません。最初から少し丸く、やわらかく、肌に近い甘さがあります。
ミドルで主役になるのがオスマンサスです。金木犀の花の甘さに、杏の果肉、乾いた茶葉、軽い革の影が混ざります。ジャスミンは強く前に出るというより、白い花の丸みで全体の輪郭を整えます。この段階で、桃のかわいらしさだけでは終わらないことが見えてきます。果実の明るさの奥に、少しマットな花粉感と、革の下地が出てきます。
ラストはスエードとアンバー。ここでいうスエードは、ハードなレザージャケットではなく、起毛した手袋やバッグの内側のような柔らかい革です。粉っぽく、少しムスクのように肌へ寄り、アンバーが温度を足します。時間が経つと、ピーチの輪郭は少しぼやけ、金木犀の杏感とスエードの肌触りが近くに残ります。強く空間を支配するより、近づいた人だけが気づくタイプの余韻です。
資料によっては、ピンクペッパー、インセンス、パチョリ、サンダルウッド、ムスクなどを感じるという記述もあります。ただし公式ノートは、ピーチジュース、オスマンサス、ジャスミン、スエード、アンバーの5要素です。購入前に見るべきなのは、追加ノートの多さではなく、桃の乳白色の甘さが、スエードの粉感へどう変わるかです。
他の香水との比較・ポジショニング
比較対象としてよく出るのは、Serge Lutens(セルジュ ルタンス)のDaim Blond(ダン・ブロン)です。どちらも、アプリコットやオスマンサスを思わせる果実感と、柔らかいスエードの肌触りを持ちます。ただ、ダン・ブロンがスエードのなめらかさへ寄るのに対し、フルール デュ マルは桃の乳白色の明るさと、花が革へ変わる二面性をより強く見せます。
Tom Ford(トム フォード)のWhite Suede(ホワイト スエード)と比べると、違いはさらに明確です。ホワイト スエードはムスクと乾いたスエードの都会的な香り。フルール デュ マルには、そこへピーチとオスマンサスの果汁感が入ります。革の香りというより、花と果実が革の手触りを帯びる香りです。
第112回で扱ったGuerlain(ゲラン)のPêche Mirage(ペッシュ ミラージュ)と並べると、共通するのは桃とオスマンサスの果実的な軸です。ペッシュ ミラージュはよりグルマン寄りで、甘く重い方向。フルール デュ マルは、スエードで甘さを引き締め、肌に近いレザーへ寄せます。
第8回で扱ったDiptyque(ディプティック)のFleur de Peau(フルール ドゥ ポー)とも、近距離の肌感という意味では比較できます。フルール ドゥ ポーはアイリスとムスクのパウダースキン。フルール デュ マルは、桃、金木犀、スエードのスキン感です。どちらも大きく広げる香りではありませんが、粉感の由来がまったく違います。
購入ガイド・価格・おすすめ度
フルール デュ マルは、100mlボトルと200mlリフィルを中心に展開されます。2026年5月時点の米国公式では100mlが350ドル、日本公式価格としては100mlで5万円前後、200mlリフィルで5万4千円台の記録があります。過去の国内紹介では4万円台前半の価格も見られるため、購入時は公式または正規販売店の最新表示を確認するのが安全です。
おすすめしやすいのは、金木犀が好きだけれど、単純な秋の花の香りでは物足りない人。ピーチの甘さに、スエードやアンバーの肌感が欲しい人。強く広げる香水より、近づいたときに印象が残る香りが好きな人です。ファッションとして香りを選ぶ人、黒い服や深い色の装いに香りを合わせたい人にも向きます。
反対に、明るくわかりやすい金木犀香水、軽い夏向けピーチ、長時間強く香るパフォーマンスを期待するなら、慎重に試したほうがよいです。トップだけで判断すると、桃がかわいい香りに見えます。けれど30分ほど待つと、スエードの粉っぽい革とアンバーの温度が出てきます。この後半が好きかどうかが、購入判断の分かれ目です。
実際の使用感・シーン・評判
似合う季節は、春、秋、冬、そして初夏の夜です。真夏の日中にたっぷり使うより、冷房の効いた室内、夕方以降の外出、静かな会食、バー、観劇のような場面に向きます。服装は、黒いジャケット、白いシャツ、深紫、シルク、スエード、少しモードな装い。香りの距離は近めなので、自分の周りに薄い膜を作るように使うとよさそうです。
評判は、かなり香水らしい分かれ方をします。好きな人は、桃と金木犀の新鮮さ、柔らかなスエード、ボトルの美しさを評価します。苦手な人は、ピーチがシャンプーっぽい、スエードが強い、価格に対して持続や拡散が物足りない、と感じやすいようです。この分かれ方は、この香りが単純な花や果実ではなく、そこに革の触感を混ぜていることとつながっています。
つける量は、まず少なめが現実的です。手首や胸元に一点置き、時間が経ってスエードが肌に寄ってくるところを見る。服に乗せる場合も、香りが強く広がるというより、布の近くに残る質感を楽しむ使い方が合います。
フルール デュ マルは、わかりやすい万人受けを狙った香りではありません。桃の乳白色、金木犀の杏、スエードの粉感。その三つが近い距離で重なると、名前ほど大げさではないけれど、確かに少し危うい花が咲きます。初夏の夜、肌の近くにだけ残る悪の華として、余韻が静かに続きます。


